おっちゃん一家ドイツ1週間の旅によせて

ドイツ地図

2005年11月に続き2度目の来独.。
今回の小山家は、てっぺーくん参入でパワーアップ!
実は彼とは21年ぶりの再会ではあるけど、 「ずいぶん大きくなったねぇ(^^;」・・・なんてギャグはかまさないつもり。
本当は、てっぺー君のお嫁さん(直子さん)も予定に入ってたんだけど、休暇の都合がつかず
「ドイツは逃げも隠れもしないから、夏の一番いい季節に抜け駆けしておいで!」と今回はお留守番。
成人してから家族4人だけの旅行は初めてだという小山家。
今回はレンタカーでの旅になるので、飛行機発着を我が家から車で1時間半ほどのベルリン空港にお願いしました。
おっちゃんから提示された旅の目的は・・・

1.ドイツはユースホステルの発祥の地で現在も586軒と世界一。宿泊業のプロの目で先進的なユース巡り
 (トーマスも私もユース利用は初めて)

2.くるみ割り人形発祥のザイフェン地方を家族全員が知る事
 (友人宅の赤ちゃん誕生祝として私も木のおもちゃを購入する)

3.ペンション店頭に飾る 大きいくるみ割り人形の購入
 (商談、上品な値切り方のドイツ語を復習)

4.Dregeno社へ行ってみたい事(おっちゃんの仕入先の問屋さん)
 (チャットのように素早いメール対応をされる担当のフランケ女史とのオフ会もしたい)

5.もっともっとドイツを知ること
 (おっちゃん一家を通じてトーマスもね)

日程は2007年1月16日から23日までの正味6日間!!
初日と最終日の宿だけ予約して、あとは「行き当たりばったりの旅」とのおっちゃんの希望で、 お迎えする側としては、いい天気になればいいな〜、と願うのみ。
トーマスはドイツ国内のユースの電話番号リストをつくりその地図までも作成、我が夫ながら素晴らしい!
12月初旬にはチケットも購入されたようで意欲満々の小山家。
陽子さんの海外使用可能の携帯番号も控え、 「今から出発します!」と、阿蘇からの最終メールを読んだ1月16日15時、予約していたフォルクスワーゲン7人乗りSharanで一路「ベルリンテーゲル空港」へ、、、、 、
ってその前に、「卒論草案最終章」コピーを担当の先生自宅に直送、、とりあえず旅の前にやるべきことはやっつけて、セーフ!
さて、話は戻って、、、
  トーマス初めてのオートマ運転で、発進!
ふかすふかす、、、走行中不定期にアラームが鳴る。「Dumm,Dumm」って聞こえて仕方がない二人。これドイツ語で「マヌケ、マヌケ!」って意味なんだけど、このアラームが何を意味するか理解できたのは数日後、、、(ラジオの交通情報の電波が入らなくなるという合図だったのでした。)

さてこれより書き綴る旅日記は、時差ぼけにもめげず強行スケジュールにつきあってくれ、方向音痴の我々が車の中で罵り合う姿に目をつぶってくれ、そして全行程の我々の費用まで出してくださった小山家の皆様に感謝の意味を込めて<暴露日記>とさせていただきます! (感謝になってる?)

さ〜て、おっちゃん一家が搭乗しているであろう「ルフトハンザ186便」の到着時刻17時15分まであとわずか。
到着ロビーで待ちます。

16日 17時半ごろ In Berlin (これよりおっちゃん一家は日本の皆さんよりも8時間若くなります。が、おっちゃんの腹の出具合は、機内での飲酒のため、倍増です)
ベルリン空港でお出迎え

この時点で阿蘇を出発してから24時間経過しているんだけど、とびっきりの笑顔で1年2ヶ月ぶりの再会!
(後日、この写真を見た日本の友人(F)は、日本にもまだこんな純朴な一家がいたのかと、涙を流したほど。)
バンダナ姿のおっちゃんも変わってなくて、卑弥呼さんは白いコートが素敵で、陽子さんは前回より髪も短くその上ダイエット成功の模様。てっぺーくんはMIXIで公言していた「トーマスへのドイツ語でのご挨拶・・・」(興奮のため割愛(ーー;)
まあとりあえず地下に停めてある車に乗り込み、だめもとで聞いてみる。

「おっちゃん運転してみる?」

Berlin- International

唯一予約すみの国際ユースホステルに到着。
料金設定をサイトで読むと、27歳以下は安いとか外国人は3ユーロ割高とか、会員証提示の義務とかいろいろ書いてあったけど、受付ではおっちゃんのユース会員証を出す前に「財布から見えました、OKです」と勝手に家族会員証とみなされ(本当はおっちゃんのみ有効)、部屋の鍵をもらうという、さい先の良いスタート!?
シーズンオフもあってこれから利用したユースすべて4人と2人との2部屋に別れて宿泊できました。
ばっちり糊付けされた清潔なシーツ、ベッドカバーと枕カバーを受け取り2階、3階の各部屋へ。「阿蘇次郎魔法のベッドメーキング」をとうとうこの目で見ることができる喜び、果たして伝授していただけるのか??

このユースではシャワー、トイレは廊下を隔てた共同使用。我が自宅はトイレにいくのに4つドアがあって毎夜中とっても面倒なのに比べたら近いものです。(いえ、イヤミじゃなくて)
ところが小山家ご一行様は階下まで行かねばならなかったそうで、卑弥呼さんはおっちゃんを起こしてついて来てもらったそうな。 日本と違っておっちゃん頼りにされてますな(^▽^)

ビジネスホテルと違うのが、自分でやる「ベッドメーキング」
その達人といわれるおっちゃんの「技」が見たくって、彼らの部屋をこっそり偵察に。
(私のベッドと変わりないやん、、、)
どうやら「収益のでないベッドメーキング」は、やらない主義ね。
善良な私はこう解釈したが、日本の悪友「F」は、所詮あの人の言うことなんて信用できんよ、フン!と言ってのけた。

19時を目前に受付で尋ねたおいしいレストラン街へ、、
ユースの客だからって寂れた通りしか教わんなかったよ。(ま、仕方ないね)
ドイツ料理でウェルカ〜ム!のはずが、なぜかイラン人が経営するイタリア料理店へ。(?▽?)
メニューをもらってみんなに日本語で説明したいけど、いかんせんドイツで覚えた多国籍料理をうまく訳せなくって、結局のところ「豚肉です。」「鶏肉です。」「魚です。」「スープです」「サラダです」、、というわけで、ほとんど盲牌状態。
おっちゃんはと言えば、「ゼクト」「ゼクト」(ドイツのシャンパン)連呼してるし、適当に6人分バラバラに注文して、一人分の量の多さに感動しつつ無事完食!(おっちゃん写真撮ってたかな〜?まだ見せてもらってないんだな)
意外だったのは、てっぺー君はアルコール類がほとんどダメだということ。
あれっ?MIXI日記でよく飲んだり吐いたりしてるのは(失礼)、たったコップ1杯だったの?それとは正反対に、陽子さんは一旦酔うけどそれが醒めたら「ざるタイプ」だそうな・・・いや〜家族4人とも酒飲みだったら破産しますのでそれでいいでしょ。
お腹いっぱいになって外に出ると小山家を歓迎するドイツの小雨。その小雨の中、ユースまで徒歩で戻りました。
ユースに戻り、トランク一杯の日本食を頂いてうれしいのと申し訳ないので複雑な気持ちになっているとトーマスから条件をだされました。 

「明日から、このトランクは君が一人で運ぶこと!」

「はい」

さてドイツにやってくる日本人には時差ぼけがうまく作用して朝早く目がさめて効果的な旅ができます。 
おっちゃんは「いやぁ、ぐっすり朝寝しますよ。」とは言ってたけど、皆さん午前2時にはぱっちりお目覚めだったそう、、
すみません、それには付き合いきれません!

17日  Berlin 散策
日本でも旅先では、生卵なんかかけてご飯3杯も食べちゃったりするのと同じ感覚かな?
今朝は ビュッフェスタイルの朝食で、小山家のみなさま、パンを一人3個は見事に平らげている!
そのうえ「ミュズリ」という鳥の餌みたいな穀物に牛乳やヨーグルトをかけて食べてる。ま、これ、旅中の危惧するところである便秘解消には抜群のエサ、、じゃなくって一品、沢山食べときましょ。
8時からたっぷり時間をかけた朝食のあとは徒歩でベルリン散策。
まずはポツダム広場、開店前のソーセージの屋台の前でベルリン名物カレーソーセージを注文。しかし屋台のおじちゃんは今まさに火をつけたところで、「焼きあがるまであと5分!」と。
律儀に待つ「てっぺーくん」でありました。合間を縫ってスーパーに立ち入った兄妹が購入してきたのは、ビンに入った「生クリーム」でした。牛乳が飲みたかったらしい。濃すぎたね。廃棄処分。

10月にたっぺさんとベルリンであったときと全く逆のコースを辿る事となり、壁づたいを歩きブランデンブルグ門前。
ここで、2時間経過、中間地点の美術館島あたりで昼食タイム。
「アジアヌードルハウス」の看板をいち早く見つけたおっちゃんの頭はもう、「うどん」でいっぱい。
「せっかくやけんドイツ料理がよかぁ〜」という卑弥呼さん&陽子さんの声もむなしく、おっちゃんは目の前の高級ホテルの入り口に向かい黒人のホテルマンからなにやら注意をうけ、(えっ?バンダナが怪しい?^▽^;)ビビッて出て来たものの、その「うどん屋」の入り口を意地で探し出しました。「旧東ドイツ博物館」の真横にありました。
黒を基調にしたお店で、厨房にアジア人のコックが一人。
席につきメニューを受け取りまたもや盲牌状態で探す。
「知らないものを食べるのが楽しみなんです!」とはてっペー君の弁。なんて頼もしい青年なんでしょ!
(ここまで来てアジアヌードルを発見する父親とは大違い)
アジア人ウエイトレスが流暢なドイツ語でオーダーをとりはじめる。
食べ歩き旅行のため、みんなそれぞれ違う料理を注文。おっちゃんはとにかく人差し指高々で「ワン ビア!」なんて言ってるし、飲み物も食べ物もちっともまとまらない。
たまりかねたウエイトレスさんが、
「あのぅ日本語でどうぞ」
はい日本人でした。(チャンチャン)

日本のうどんとは似て非なるものだったけど、アジア食に餓えてる私は大満足!
こんな時一人浮いているのは夫のトーマス。日本語オンリーの会話を黙って聞いてるもんだから、栃木出身ショートカットがキマッてるこの店のウエイトレスは、トーマスが日本語OKだと勘違いして日本語で道を説明していたよ。トーマスも調子よく「はい」なんて言ってるしね。 オイオイ・・・
一月に入りちょっぴり日は長くなったといっても17時には真っ暗になるし、なんとか効率的に廻りたいところ。
でも、おっちゃんが持ってきた「地球の歩き方」に紹介されている名所は全ておさえたつもり。

旅をする人には2通りのパターンがあると思う。
ひとつは旅行前に観光名所を事前に調べて「写真どおりだ」と確認するタイプ。そしてもうひとつは旅がおわって実際に歩いたところをガイドブックで辿っていくタイプ、、
小山家は決して前者ではなさそうだ。「地球の歩き方」は購入しただけのようで新品同様。せめて後者であって欲しいという願いから、ここにルートを記しておきます。

ポツダム広場〜ブランデンブルグ門〜ウンターデンリンデン通り〜博物館島〜アレキサンダー広場〜チェックポイントチャーリー〜クーダムで喫茶店にはいり地下鉄で計7時間に及ぶベルリン引き廻し。
( これも一応時差ぼけ防止の策略でございました。)  
                   
車を停めてるユースに戻り 本日の宿泊先ポツダムへ、所要時間30分ほど。その前に携帯電話でユース2部屋予約、無事OK。 念のため、おっちゃんに聞いてみる。

「運転されますか?保険にも入ってますが・・・」

車で30分のはずが、高速出口見逃して直進、まあ無料だからそう深刻にはならなかったけど、グーグルで調べて印刷した地図持参にもかかわらず目的地まであと少しのところをぐるぐる迷う。 運転手トーマス、さすがのおっちゃんたちも気がついてるはず、、って我々のドイツ語での口げんか。 私は助手席です。
「君が地図を握ってるんだから、ちゃんと確認してくれなきゃ困る」
「車内灯つけないと見えるわけないでしょ」
「じゃ灯けろよ」
「明るいと運転しにくいって文句いうやん」
それでも地図を上にしたり下にしたり・・・、
「だいたいこのグーグルの地図って通りの名前全部表示されてないし、以前から気に入らないのよ」
正当化する私。
「しかも私、ユースの住所知らないし、、、(−−;)」
はっと気が付き、結局車をとめて道端のおばさんに場所をたずね無事到着(一同、ホッ)
                                      

 

Potsdam- Haus der Jugend ポツダム青年の家

ホモに違いないであろう受付のおにいちゃんから鍵をうけとり、キャンペーン期間(ホモの?)ということで、年齢・国籍不問で朝食込み1人15ユーロ。ラッキィ〜♪
部屋はシャワー、トイレつきだし、元学校という建物は天井も高く階段も広くセキュリティもばっちり。おっちゃん一家は最後まで自分たちで鍵を使って部屋に入ることはできませんでした。(う〜ん、セキュリティ完璧ね!って・・・お客が入れなくてどうする!?)
チェックインの後、今度は私の運転で2次会の買出し&レストランへGO!

部屋に戻りおっちゃんたちの部屋で打ち上げ会
「音楽が足りないから僕の<自慢の携帯電話>を使って、おっちゃんお気に入りの曲をダウンロードしようよ」とはトーマスの提案。 おっちゃん早速トーマスにアーティストの英語のつづりを言ってる。
「walkerなんとか」らしいんだけど、トーマスなかなか理解できない。少々の発音の悪さも私のおかげで慣れてるはずよ。おっちゃんも必死で「スモールO(オウ)」なんて言ってるけど、ラチがあかない。ここで娘の陽子さんが気がついた「お父さん!カタカナで言ぃよろ?」そりゃトーマスに「ウォーカー」をわかってもらうのは酷っすよ。
      
「眠くなった者から次々とベッドに消えてよし!」という規則を掲げ、部屋にもどってトーマスはご自慢の携帯電話でテレビだかラジオだか聞いてる。そうね、気になる天気予報ね、、、だってドイツは明日から台風接近!・・・えっ?

18日 ポツダムからわが村 フェーリッツへ
雨は降ってるけど車移動だし、今のところ台風も気にならない。ポツダム会談が行われた場所でも有名なツェツィリエンホーフまで私の運転。ここはホテルとしても現役で活躍中、ガイドの女性がつくけど日本語の案内コピーも5人分もらってるし、宿泊業のおっちゃんが一番気になったのは、そのホテル1泊のお値段。歴史とはかけ離れた質問に戸惑うガイドさん、それでもだいたいの値段、80ユーロから600ユーロくらい。
そのホテルのカフェに立ち寄ると、従業員たちが外のプランターなどを台風にそなえ片付けはじめていた。
トーマスが新聞の天気欄を見ながら、どれだけ大きい台風がくるのかパニック気味だけど、台風王国のニッポン人にはその数値は大したことないのよ。それでも「明るいうちに家に戻ったほうがいい」と言う夫のびびり具合を考慮して、その後のサンスーシー宮殿は車窓から見ただけで、車で1時間ちょっとの人口362人(うち2人は我々)のフェーリッツ村へ直行。
風が吹き始めてるのでおっちゃんに運転はあきらめてもらうとしよう。

まずは13時も過ぎたし、実家を素通りして隣り町のGommernのお食事処Volkshausへ
夕方からワイワイにぎわうこのお店だけど昼間は貸切状態。地元だし「美味しいドイツ料理食べさせておくれ」「みんなで食べるから取り皿も一緒にもってきて」なんて平気でいえる。(ちなみにドイツではあるまじき行為です)

こんな大量の日本人がお店に入荷?したのは初めてだろうな。
オーナーのおじさん興味津々で、 ドイツまでの飛行時間から、日本の気候、ついでに
「こんな田舎に何しにきたの?」
質問責めにあう小山一家であった。
そんなオーナーにおまかせ6品料理を頼んで・・・、お腹いっぱいになりました。
この後はサンディー一家を我が家にご招待。
私のお楽しみは今晩の夕食。卑弥呼さんとてっぺー君が、「日本食を作ってくださる」ということなのよね。早速材料調達のためスーパーでお買い物。
5キロ先のフェーリッツ村まで果てしなく続く穀物畑、何の障害物もない景色、おっちゃんは言葉を失っていたみたい。
家の前の大きな門を見て、「これ、リモコンで開けるんでしょ?」なんておっちゃんが言うもんだから、「もちろん!合言葉も必要よ!」と言いながら、私は一足先に降りて鍵を使い中に入り、手動で開け始める。
台風接近で風が強くうまく開かず、支柱で頭に衝撃を受けながら奮闘していると、あまりの騒々しさに家から出てきた義理父。 義理父の助けを借りて、無事に車は敷地内へ。(^▽^;)
次の瞬間、村の一大ニュースになるような<日本人グループが車から降り立ちました!!>

そんなに大きな家じゃないんだけど、トーマスがここ2年間一人で改装した自慢の住居を見てもらいたかったのと、副業として「ホームステイ業」ができるかどうか、実際におっちゃんに見てもらおうと言う思惑もあって、我が家にきていただきました。
  
( トーマス改装中2006年 夏 )

我が家は入り口のみ共同の完全2世帯住宅です。
一通りお部屋を紹介した後に、2階に住むトーマス実母「アニー」、実父「エーリッヒ」と御対面です。
お土産の「福岡代表ひよこ饅頭」「熊本代表陣太鼓」「沖縄代表紅芋のお饅頭」「岡山代表岡山の梨」
そして、数々の民芸品をいただき両親も嬉しさ満面。 (すごい貢物だ・・・)
ワインをご馳走になって 「今晩は日本食を一緒にたべましょう、6時ごろ降りてきてね」
ちなみにこのお土産の和菓子はこのあとすぐ開封され試食された模様。アニーは同封されていた乾燥剤の袋を日本茶だと思い、開けて味見までしてました。(ゴメンネ、日本語で「食べると死ぬ!」って書いてあるんだけどね・・・)

洗濯機を回しながらも、台所に良い匂いが立ち込めているのがわかります。
卑弥呼さん、てっぺい君と陽子さんは、あれよあれよと言う間にだご汁用の具も、てんぷら用の具も衣も、豚肉を使ったオーブン料理も、準備されています。感心しちゃうのは、他人の台所を使うというハンディもなく手際がいいのよね〜。砥石なんかも見つけ出されてるし。私はもっぱら写真撮影係、おっちゃんは隣で仮眠。 (コラコラ阿蘇次郎)

 
外はたしかにすごい風、でもさすが石造りの家の中ではほとんど聞こえないから、 「 食後はネットに3人登場してもらおう」 「写真も貼り付けちゃおう!」「ゆっくりくつろいでもらおう!」と、考えていたのよね。
てっぺー君から「油がたりないです」って言われて、2階へ行ってアニーからサラダ油をもらい、まさに「てんぷら開始!!」 の瞬間!!
  
「バチッ!!」

真っ暗・・・

何?停電??
  
日本の感覚だと数秒後には復旧なんだけど、一向に回復の兆しなし。 なんでも1978年以来の停電。
「えっ?テンプラはどうなると?」「オーブンの中の肉は?」「豚汁さめちゃうよ」「あ〜洗濯機ぃ」
オール電化の我が家は停電に滅法弱かった。幸い仏壇は無くともロウソクはたくさん手元にある。水も出る。ただ心配なのは暖房がきれているので暖冬とはいえ芯から冷えてきます。
急遽パンを切って、チーズやハム盛って、ちょっと冷めかけただご汁。それでもみんなで食べる夕食は美味しかったです。

ラジオで台風情報に耳を傾けてるのはドイツ人だけ、我々にはうるさいだけでして・・・。
てっぺー君とトーマスは将棋とかチェスとかオリジナルなルールで勝負し始めたし、やわらかいロウソクの灯りも雰囲気あるんだけど、よりにもよってどうして今日停電になっちゃうわけ?
「おっちゃん、どうせHPの日記に<さくらさんが住んでるところは電気も通ってない>って書くんでしょ?」
「それじゃシャレにならんですよ」 トホホ。
じゃもう寝ましょうってことで、トイレの明かりのスイッチを教えようとする私、、
「どうせ停電でしょ」
そうでした。

ロウソクだけが頼りでした。
明日の朝は、パン焼けないしコーヒー淹れられない、例の鳥の餌みたいな「ミュズリ」と牛乳で我慢してもらうしかないな、、と思いつつウトウト、、でもその心配をよそに、25時ごろには復旧していた模様。


19日 フェーリッツからザイフェンへ600キロくらいの旅              
コーヒーも淹れたし、パンも焼けた!シャワーも浴びた!ドイツ電力会社の皆様、感謝感謝です!!
台風一過でお天気良好。トーマスは近所のお年寄りの家へテレビのアンテナの修理に駆り出されたり、庭の点検などで時間がかかる。その間おっちゃんたちには両親自慢のお庭を見たり暖冬で収穫成績イマイチのリンゴ、梨なんかを頬張ったりして待っていただく。
今日は金曜日で事前に連絡していた仕入れ問屋「ドレゲノ社」は16時で閉店。
週末も当然閉まるから、なんとかして15時には到着しておきたいところ・・・、って、絶対よ!そのための商用旅行ですからね!3日後にはまた家に戻ってくるからとバタバタと車に乗り込み、11時ごろ出発!道路が乾いてるうちに少しでも目的地に近づきたいというトーマス運転手の希望で、走行速度は彼に一切おまかせ。4時間ほどの車の旅。
基本的に助手席には私、後ろに3人、そのまた後ろに1人と荷物っていうパターンで、高速に乗った途端てっぺー君が
「あのう ドイツの車のパネルもキロメーター表示ですか?」
「うんそうだけど」
「じゃ今、時速180キロで走ってるってことですか!」
「そのようね・・・」
といわけで、その後の彼らは沈黙を守り通しました。おっちゃんなんて目をつぶって、何やら唱えてるんじゃないかと思うくらいの形相。陽が射してお天気はいいもんだから、トーマス運ちゃんはどこまでも飛ばす。でも我々を追い越す車もいるんだからね、これがここでは普通なのよ。

くるみ割り人形の里 ザイフェンまであと40分というところで昼食。
毎回毎回量の多さに5人分でちょうどいいと学び始めた私達。おっちゃん自慢のカメラで テーブルに出された食事の写真撮影も済んで、再び車に乗り込む。もう高速道路じゃないんだけど、後ろの4人はなぜか黙りこんだまま、時々小声で聞こえる「カメラが見当たらん」、、、

見覚えのあるザイフェンに到着する頃には、おっちゃんは「ここは去年写真撮ったばい、今日も同じ場所で撮るけんね」カメラマンの血が騒ぎ始めた。ここで子供たち2人は大爆笑してる。 意味が私にはわからなかったんだけど、「そのカメラが無いんやもんね、残念ねぇ」と本人に聞こえないように吹きだしてたんだって。
予定通り15時に「Dregeno社」の看板を見つけ駐車場へ、、陽子さんと私は♪ドレゲーノ、ゲロゲーロ♪と声高らかに、おっちゃんは早速、荷物を出してカメラ探し、、、 
ありました!無意識のうちにリュックサックの中に入れてしっかり閉じていたそうで、 ヤレヤレ。

業者さん用の事務所兼店舗に案内され、店頭に並ぶすごい数の商品にため息つく私。事前のメールによると担当のフランケ女史は商用でアメリカ出張中とのことなので、おっちゃんはまたまた「福岡代表ひよこ饅頭」のお土産を、代理のクラウディアさんに渡してまずはご挨拶。特注くるみ割り人形の交渉にきたのも伝えていたから話は早い。ついでに言えば「お茶でもどうぞ!」なんてサービスはドイツでは皆無。でもこの会社は注文するときの迅速な対応といい、入金確認を待たずに日本に発送してくれる太っ腹なところと言い、個人的に気に入ってます。 目のしぐさも体型も森公美子そっくりのクラウディア女史の象さんプリントのトレーナーに見とれながらも商談成立。ここはもう閉店時間間際なんだけど小売店のほうは明日(土曜日)も17時まで営業してるから、おっちゃんはそこでも引き続き仕入れ価格(19%税抜き)で購入できるように約束を執りつけて退去。

さて本日の宿泊先は、、、と言うと、決めていない。
とりあえずザイフェンの隣町にあるユースに行くことに。
それらしき建物にたどり着いたけど、看板に「ユース」とは書いてない、でも住所はあってる。 
「 ちょっと訊いてくるね」と私とてっぺー君と車を降りて中へ入る。応答なし、受付も閉まってる。
大胆にも台所へ行くと、中からでっかいおじさんが出てきた。
「こんにちわ!今晩大人6人宿泊できますか?」
OKのようだけど、明らかに戸惑ってる様子。シーズンオフに飛びこみの客、しかもアジア人って・・・ やっぱり怪しいか?
念のために「ドイツ人も一人含まれています。」伝えてはみたけど、それはどうでもよかったみたい。
フロアは暖房も切られて薄暗いんだけど、ダンディという老犬がいたり、もう1匹愛嬌のある子犬がいたりして私は思わずしゃがみ込んで「よしよし!」しながらワシワシ、私ってやっぱり犬派だわ、ズージーには悪いけど、、。
          Neuhausen Jugendbaude 
宿泊業のオーナーは体格が、、

6人全員中に入り、部屋の鍵をもらい、おじさんは大急ぎで暖房をいれながら人数分ベッドカバーなど運んでくれる。
シャワーとトイレの場所、3階のテレビ室、プレイルームも教えてもらい、向かい同士の部屋に入る。
おっちゃん曰く、「予約なしのお客さんが突然きた時の慌てぶり、僕そっくりです、共感します」そっかぁ。
荷物を置いて一旦食事をしに再び車でザイフェンへ、、そこでトーマスが「僕たち、名前も住所も聞かれなかったし、年齢も会員証の提示もない。金額も聞いてなければ 前金も払ってない。聞かれたのは、明日の朝食の時間と希望の飲み物だけ」 そしたらおっちゃんが、「サンディーベルと一緒です。だってお客さんが訊かないから、、、」そっかぁ、ごもっともです。

ユースめぐりもここで3軒目。卑弥呼さん曰く、「こうやって旅をすると、泊まる側と泊める側と両方見る事ができて勉強になるわ」例えばどんなことなんだろう?って思います。
やっぱり午前中には宿の予約はしといた方がいいのよね、お客さんを迎える準備ってのもあるだろうしね。しかしその後のユースの予約もすべて当日数時間前に行ってしまうはめになり、、さぞやおっちゃん一家は我々の予約の遅さにキリキリしてたんじゃなかろうか、ひょっとしたら一番嫌な客のタイプかもしれないな、と思ったりした。それでも恒例「お部屋で二次会」ではメール予約をウイルスと間違って消去してしまい、真っ暗なサンディーベルにお客さんがきた事、近所のペンションに急遽泊まっていただいて、次の日お詫びに車で阿蘇観光めぐりしてあげたことなど、いろんな失敗談も聞けたり、、お客さんの3分の1が「リピーター」っていうのもすごいなって感心しながら、本日も暮れていったのでした。
 連日こんな調子でした


20日 ヒュヒトナー工房訪問からドレスデンへ(おっちゃん運転)
穏やかな音楽が流れる食堂で暖かいコーヒーとともに朝食。
ユースのおじさんから、「くるみ割り人形博物館」とドレスデンまでのお勧めのルートを教わり、チェックアウト。その博物館はこの町にありました。入り口にはギネスブックに登録されてる巨大人形があって真下に居た私に思いっきり鳥のフンが降ってきたり、中国製のばったモン製品とオリジナルを対称的に並べ展示してあったり、おっちゃんは見事に当ててました。さすが個人輸入業者!
                    
(ゲストブック記帳)

   からくり時計の前で

ドレゲノ小売店でさっさと買い物をすませ、向かうはくるみわり人形の元祖である「ヒュヒトナー工房」
おっちゃんとこで販売されている「くるみ割り人形」は、全てここの作品!というぐらいの気の入れよう。自宅の中に展示室があるだけの小さな工房、奥さんが出てこられてこれまた1年ちょっとぶりの再会。 6代目のご主人も仕事場からやってきました。嬉しかったのは我々のことを覚えてくださってたこと、サンディーベル姉妹サイト「くるみ割り人形の部屋」を彼らに見せながらアピール。日本語が出ないから写真がやたら目立つんだけど、昨年撮影したヒュヒトナー夫妻の写真を無断掲載してるし、ハラハラしていたトーマス君でした。
ここで交渉したのが、「工房から直接くるみ割り人形を買い付けできるかどうか」
Mr.小山は、ここのくるみ割り40センチクラスをメインに販売するつもりだ、ヒュヒトナー社以外興味はない!と、彼らの心をくすぐります。そこで奥さんが言ったセリフに感動しました。
「我々の作品にはLiebeLustが込められているんです」
クライマックスシーンそのもの!!これをなんとしてでも卑弥呼さんとおっちゃんに伝えたい。Liebeは「愛」なんだけど、しかし Lustってのが私の脳みそには「欲望、性欲」しかインプットされてなくて、どうもまともな通訳が出来ない。う〜ん、困ったいくらなんでも直訳はできない、、ということで「愛」だけしかお伝えできませんでした。 この場をもってお詫びします。 Lustはきっと「遊び心」だよね。こういう時には言葉なんていらない!お人形さん達を見ればわかってもらえる!と開き直り、まずは交渉成立。新カタログを受け取り、後はメール注文で発送手続きもOK。

じゃお昼もここザイフェンで済まそうということで、昨年も立ち寄ったカフェレストランへ。
やっとここで子供用メニューを発見、量が少なくってそれでも日本人にはお腹いっぱい、価格も半額くらいという有難いメニューです。大人が注文できないときもあるから、ウエイトレスに聞いて許可を得ました。というわけで女性3人は「お子様ランチ」ここでてっぺー君がある論証を打ち立てた。
「なんかトーマスが注文するのが毎回一番美味そうだ!」(トーマス苦笑い、、)そんな気もする。

車に乗り込みユースのおじさんお勧めのルートでドレスデンへ。
いや確かに地元の人から教わる道だけあって(裏道っていうのかな)信号もなく、名所があったりチェコへ徒歩で越境したり、とにかく一本道なので小休憩の後、いよいよおっちゃんに運転を代わる。前日真っ暗な道をちょっと走ってもらったので今日はもう本番ムード。助手席を陽子さんに譲り、「お父さん!右側に寄りすぎ」と注意を受けながら快適速度、対向車が来るたび車内は絶叫マシーンのごとく手に汗握る 。
「ゴン!」と、路肩に乗り上げたところであっけなく、トーマスと運転交替。
実質10分くらいだったかな?それでも日本に帰ったら、「運転は僕がずっと担当してた」って言いふらすのかな?

        
対向車が・・・                              途中のダム

腕だけチェコ
島国日本人の儀式、体はポーランド領 2006.8月(おまけ)

 

ドレスデンに近づいてきたところで恒例となったユース行き当たりばったり予約、3軒目にしてOK。
その前に市街地を散策、おっちゃんたちには二度目のドレスデン訪問となった。
Dresden Jugendherberge

ここはもう、ちょっとしたホテルでベッド450所有、価格もホテル並み。
綿密な手続き、会員証を持ってない卑弥呼さん、てっぺー君と陽子さんは3ユーロの追加料金、その上仮のカードに名前やらサイン記入の義務。卑弥呼さんは生年月日を昭和で書いたりして・・・と、暴露日記のネタには事欠かない。
チェックインの後、歩いて市街地。そろそろ日本へのお土産購入も念頭にお店に入る。
デパートの食堂街みたいなところでおっちゃんは中華店に釘付け、米飯の写真の前から離れなくなり(子供か!)、今晩の食事はアジアンテイスト。
帰り道、てっペー君とトーマス、混浴サウナに行こうかどうしようか、迷ったあげく勇気がイマイチで部屋に戻る。
この頃には小山家は日常ドイツ語会話になりつつあり、「ダンケ」「ビッテ」「レッカー」(美味しいの意味)「アッソウ」とドイツ語相槌までマスターして、ほぼこの4語でドイツを渡り歩いてる模様。(アッソウは最高だよね。)

21日 ドレスデンからゴスラーへ
日曜日で天気も良好。
チェックアウト後、この日は思いもかけず1日で5都市観光やり遂げました。「木組みの建物に宿泊してみたい」との彼らの希望でリスト(写真つき)見ながらゴスラーという西ドイツの街のユースに決定。電話予約はまだしてない。論文みたくかなり長くなってきたので足早に駆け抜ける事にいたしましょう。
まずは磁器で有名なマイセン。博物館見学の後、買い物もできる仕組み。
「ペンションの食器全部これに換えよう」とか、「免税手続き手伝うよ」と、かますだけかまして、無料のパンフレットをワンさと頂いてマイセンに別れを告げる。
 マイセン工芸館

高速道路のドライブインで昼食のつもりが、200キロ先まで存在しないとわかり急遽ライプツィヒで降り、駅前のバイエルン料理のレストランに入る。その後、腹ごなしを兼ねて旧市街地へ。ニコライ教会、バッハが眠るトーマス協会を見学して、デザートは「くるくる寿司屋」。
世界遺産の街クヴェトリンブルグにたどり着いたときはもう薄暗かったけど、初めて来たてっぺー君は目を凝らして見てました。5時閉店直前のカフェに入り、一気飲み状態で再び高速道路をゴスラーへと車を走らせる。トーマスは日本語で書かれた地図を器用に見てなんとか到着。ここで3回目の給油。
トーマス教会の前

市街地で
赤い皿はいくらだったけか?

 

Goslar Jugendherberge

夜のゴスラーの町並みは格別で、やっぱり西ドイツだな、どことなく洗練されている。しかし、タバコの吸殻などのごみも同時に目についてくる。日本ではめったにお目にかかれないギリシャレストランに入ることにした。女性3人は例の「お子様メニュー」なんだけど、Suzukiっていう料理が気になって仕方ない、ギリシャ語なのよね。ドイツの寿司屋も「kappa-maki」などとそのまま日本語で提供してるからエキゾチック!とはいえ、注文に失敗はしたくない主義。それなりに真剣、じゃ私がと言うことで頼んでみました「お子様Suzuki」おっちゃんはイカのリングフライ(味ポンで食べたかったね)串し焼きも頼んじゃう!ギリシャ料理は魚介類もあるし、わりと日本人好みというのが私の印象です。おっちゃんカメラをユースに置いてきたから写真はなし。
あっ、ちなみに出てきたSuzukiはハンバーグでした。
帰りは私の運転で超日本的奨励速度40`をキープしながらユースへ到着、お部屋の暖房が効かないね。

22日フェーリッツ村で最後の晩餐 天ぷらだ!
15時半にはトーマス両親と自宅でお茶会の約束だから、9時前には朝食もすませスタンバイ。
ゴスラーの旧市街地を廻りたいけど、「魔女の人形」を買うにもまだお店は開いてないからここは諦めるとして、帰り道でもある魔女の故郷ターレに寄ることにする。その頃には、お店も開いてて決して可愛くはない魔女の人形にも出会える事でしょ、そうしましょう。
ぐんぐんと山間を走り山頂へ。車を止めて見学でもしよう、、としたのよ。卑弥呼さんとてっぺー君以外はね。
彼らは 探し物があったらしく車の中を徹底的にチェック。どうやらてっぺー君、夕べはいてたズボンをユースに忘れてきたらしい。郵送してもらえばいいよ、なんて軽く考えてたんだけどポケットに財布を入れてるらしい。「じゃ話は別!」と、即ユースに電話、しばらく待って見つかったとの返事。「今から取りに戻ります」と伝えてUターン。だけど「ありました」と聞いただけで財布のことは聞いてない。「どれくらいお金入れてたの?」「50ユーロくらいで円は入れてない・・・それよりも大事なのは車の免許証と阿蘇のレンタルビデオの会員証かな・・・」「最悪の場合は財布戻ってこないかもしれんけど、ユースのスタッフが盗ったと思うとそれも憂鬱よね、、、そのときは免許証とレンタル会員証だけでも返してって頼んでみようかね。」と、励ましてるのか追い討ちをかけてるのか、慰めながらも、「日記のネタになるのは避けられんねえ」と、いじめる私。その間、トーマス運ちゃんは自慢の180キロ走行、いやもっと出てたかも?

さっきまでいた街なのにまたユースまでの道を間違え市街地へ侵入、それでもありったけの感謝の気持ちをこめて「ダンケ!」とズボンと財布(中身も確認)を受け取り、てっぺー君のおかげで日中のゴスラーの旧市街地も見ることができたし、めでたしめでたし。再び車を走らせて通称「夢タウンシューネベック支店」でお土産など買うことにあいなった。

ドイツ最後の夜はフェーリッツ村から5キロの隣町ゴメルンのユース1部屋を電話予約。16時にはスタッフがいなくなるので、それまでに受付とカギの受け取りを済ませるということ。まあトーマスには庭みたいなものだから、迷わず到着。
Gommern Jugendherberge

あとは午後のケーキとお茶会のために、ここから車で5分の実家へ。
卑弥呼さんからピンクのお花と植物をもらって、アニー&エーリッヒも嬉しそうです。午前中のうちに3種類のケーキを焼いて待っていた彼らと早速お茶会。サンディーベルでは記念日にお客さんにケーキを出されるから、もちろん母のお手製ケーキのレシピも興味津々、どうしたらアップルムースがこんな色になるのか?食の話題に関してはなんか暗黙の常識があるようで言語は違ってもアニーと卑弥呼さんはわかり合えてるみたいでした。調子にのったアニーは、サンディーベルに住み込んで、お客さんのためにケーキ焼き担当で働こうかな、、、なんて言ってる。 (じゃ、あたしも帰国できるってわけ??)

 

             
トーマス両親と一緒に

コーヒーの後の彼女の特製のリキュールでお開き。
そしてもう停電もなさそう、前回は目前にして散った天ぷらメニューで最後の晩餐です。


本日の天ぷらの具

私の論文のゴーストライターでもある近所のミヒャエル(独身28歳)も呼び出して、日本人5名ドイツ人4名でワイワイにぎやか、うるさいくらい。今回も卑弥呼さんとてっぺー君に台所を開放、うちのキッチンもプロに使ってもらって能力発揮してるって感じです。これホント。

ドイツ人チーム

お味噌汁も出来上がってました、、私なにしてたんだっけ?阿蘇から持ってきていただいたご飯も炊けて、3日前には完成していた天つゆも温めなおして、てっぺーシェフは立ちっぱなしで揚げてくれる。こんな贅沢はありませんよ!
  照れるシェフ                  職人の技

最初のエビが揚がり、卑弥呼さんが我々のお皿に載せてくれる、、そこでアニーは「エビは嫌いだ」と辞退した。息子のトーマスが「エビが嫌いだなんて、どうしてだよ?」母は「だって食べたことないから。でも試しに一つだけ頂戴」
・・・・・ その後もエビの天ぷらを催促するアニーでした。 たぶん一番沢山食べてたよ。平皿にご飯+のりたま、切干大根をフォークとナイフで食べるのは、ある意味必見の価値があると思う。旧東ドイツで人生大半を過ごし、何の縁だか息子が日本人妻を連れてきて、今まで見たこともない日本料理をおっかなびっくり食べる義父、動脈硬化を患っているからその予防のためにも日本食もっと沢山食べさせたいな、、、そのためには私がもっと和食の勉強をしろってか?
今晩はしらふのつもりだったおっちゃんも気がついたらビール片手に「やっぱ母ちゃんの料理が一番!」なんてご満悦。「レッカー、レッカー」(美味しい)を連発させながら、トーマスとミヒャエルが2人で日本語講座始めたりして「コレハ ナンデスカ?」「コレハ ハシ(箸)デス」本当に楽しかった!
 おっちゃんの優しい視線

おっちゃんたちは今晩荷造りなど帰国の準備のため早めにユースへ戻ることになり、ここで小山家ご一同様、義理両親とはお別れです。アニーはおっちゃんの頬をなでながら「又来年会いましょう!」と約束取り付けている。無事の帰国を願い、彼らは2階へ戻っていった。ミヒャエルも3回で丸暗記して「キヲツケテ!」自転車で帰っていった。ゴメルンのユースまで車で彼らを送り、我々は自宅で眠る。
後日談だけど貸切り状態のユースだと思っていたら、客が一人いたそうで、夜中にパンツ一丁で廊下にでたおっちゃん、共同トイレでかち合ったそうだ、両人とも「わ〜っ!!」ってな状態で叫んだらしい。相手の人はさぞびっくりしたことだろう、なんたって寝るときもはずさないバンダナはズリズリにずれまくって死人のような形相だったとか、、(てっぺー君談)

朝8時5分過ぎにユース前に迎えに行き一路ベルリンテーゲル空港へ、フライトは10時55分だから余裕の出発、フェーリッツの自宅前を通り抜け、「ナポレオンがここまできた」という唯一の村の記念碑前にて撮影会。
フェーリッツ唯一の名所前                    気温は−2℃

 

軽い渋滞にひっかかり空港到着は10時過ぎ、チェックインも始まってた。

それじゃまたネットでお会いしましょう、今年の夏は帰省できるように大学卒業します!お元気でAlles Gute! 

出発ゲート前でお別れしました。 彼らから受け取ったのは4人全員からの手紙(一部ドイツ語)。 帰りの車で妙におとなしくなった私の頭をなでてくれるトーマスに訳しながら自宅へ戻り、レンタカー返却15時を目指し家族4人でマグデブルグへ、走行距離1673キロと記録された領収書を受け取り家へ戻る。
楽しい一週間でした。とにもかくにも彼らが旅のプロで私たちのヘタクソなプランにも根気強く付き合ってくださったことに感謝いたします。トーマスは本当は時速200`出したかったらしいけど、ファミリーカーじゃ無理だったそう。おっちゃんは、銀行のキャッシュサービスコーナーで相変わらず暗証番号を声に出したり、それも前回と同じ番号だったりと、これでも書ききれないくらいの爆笑ものでした。
暗証番号を音読するおっちゃん

小山家の皆さんも無事に帰国され、我々も日常生活が始まってます。 まだいただいた貢物が棚からあふれてきて収拾がつかないし、アニーのケーキのレシピも近いうちににお届け予定だし、我が家の冷蔵庫には無念にも日本に持ち帰ることができなかったチーズやヨーグルトが置き土産で残っています。そしてどうやらこのTシャツを次回は私たちが阿蘇のペンションまで持って行くことをお約束せねばならないようです。
お忘れ物

そしてこれからは旅先での宿の予約は当日午前中までに済ませることにします!

(小山一家に愛をこめて・・・Mari&Thomas)

 

追加画像from阿蘇次郎